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TOWERSの思い出
2006年9月寄稿 by 星亀注意報 
(シンガポール駐在時代)
シンガポール駐在は93年〜98年でしたが、着任早々、当時のHitachi Asia Singaporeの北岡さんと川島さんに誘われてソフトボールを始めました。Hitachi Towersに入団して間もなくほんの軽い気持ちで事務局を引き受けたのですが、完璧にはめられたと言うか、自らはまったと言うか、それから帰国までの約5年間のシンガポール生活は、まさにTOWERS一色でした。

当初は毎週末チャイニーズハイスクールのグラウンド゙を借りて(確かSD50/2時間ぐらいだったと思います)練習を行っていましたが、多い時でも10人は集まらず、大抵3〜4人、1人で練習したこともありました。TOWERSが大きく飛躍したのは、2回戦突破(出きればベスト8)の目標にずっと跳ね返されていたところ、チャイニーズハイスクールでの日本人会大会(95年)で、いきなり準優勝したことがきっかけだったと思います。当時はレッドソックスの全盛期で、あぶさん、NMR、キアスー等々、その後続々と強豪が現れて来ましたが、この銀メダル以降TOWERSも徐々にその一角を占めるようになりました。

今でも5年間で1番印象に残っているのは、この大会で優勝したあぶさんが、『決勝の相手はTOWERSなの???よく頑張ったねえ』という感じで迎えてくれた場面です。
考えてみれば失礼な話ですが、当時は、強豪チームに認めて貰えたという少し嬉しい気持ちと、今まで全然手の届かなかったメダルが貰えるということだけで、夢見心地、未知の世界の6連戦で相当疲れていましたが、自分としては1番リラックスして気持ちよく投げることが出来たと思います。

その後、苦労していた選手集めも、活動が活発になるにつれて徐々に軌道に乗り、最盛期には毎週余裕で紅白戦ができる程になっていたと思います。スタートは会社の同好会のようなチームでしたが、人の繋がりでメンバーも様々になり戦力も充実して来たと思います。

練習場所にも苦労しましたが、Singapore Softball Associationに加盟したところ、カランのグランド゙が使えるようになり(おそらくTOWERSが最初だったと思います)、マリーナサウスに異動するまでは、かなり恵まれた環境で練習をさせて頂きました。その縁で女子シンガポール・ナショナルチームと練習試合をさせてもらいましたが、TOWERSの素人ウィンドミルの遅い球に全くタイミング゙が合わず、TOWERSの圧勝。アセアン・ソフトボール大会前の練習だったようですが、何か悪いことをしたような・・・。

シンガポール在住者ならば大抵そうだと思いますが、何とか1年間引き伸ばした駐在期間もついに時間切れとなり、後ろ髪を引かれる思いで98年に帰任と言うことになりました。

会社のローカルスタッフにはソフトボールの特注ケーキで送別してもらい、チャンギ゙からはTOWERSのユニフォームを着て帰国しました。 

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